第8回定期演奏会(2020年2月22日開催)|客席固定カメラ

耳を澄ませば聴こえてくる、未知なるもの――
 J.S.バッハモーツァルトベートーヴェン...西洋音楽史にその名を刻んだ作曲家たちの傑作も、当時は「未知なるもの」であった。誰も聴いたことがない響き、それを求めた作曲家や、聴衆によって音楽は発展を続けてきた。
 作曲家は「未知なるもの(響き)」を追い、わたしたちの前にまた「未知なるもの(作品)」を提示してくれる。そしてそれは、わたしたちよりも何世代も先の「未知なるもの(者)」へと受け継がれてゆく。音楽はこの美しい「未知なるもの」の連鎖で太古から繋がってきた。本日演奏される作品も、その鎖の一欠片になったもの、あるいは、これから美しい鎖に繋がれてゆく一欠片なのである。

建部 知弘:ダンス・セレブレーション
 建部(1957 - )は、外連味がなくとても親しみやすい作品で知られている人気作曲家のひとり。本作《ダンス・セレブレーション》は、建部の出身地、新潟県のアマチュア吹奏楽団である糸魚川吹奏楽団の創立25周年を記念して2000年に作曲された作品。2001年には「響宴」でも取り上げられるなど、現在まで広く演奏され続けている。
 木管楽器群の華やかなトリルや金管楽器群のファンファーレ風の動機が祝典的な雰囲気を作り出す。その後提示されるクラリネットを中心とした旋律は、3拍子と2拍子のあらゆるリズムの可能性を内包しているが、その旋律は淀みなく流れる。旋律は最終的に讃歌風の音楽へと変わり、未来を祝福するような燦然たる多幸感に包まれてゆく。
 建部は本作について「『実は私は踊りたかったんだ!』と云う、作曲当時の自分の心象が反映しています」と語っている。そう、本作は現実には成り得なかった「未知なるもの」を希求した作品でもある。


【客席固定カメラ】建部知弘:ダンス・セレブレーション


今村 愛紀:天地開闢 ― 神謡
 今村(1987 - )は、現在精力的に活動している若手作曲家のひとり。その作品は《鳥の楽園》のように、繊細な響きを一粒一粒掬い取ってゆくものから、《たそがれの狐》のような、和を湛えた作品など幅広い。本作《天地開闢 ― 神謡》は、東京音楽制作合同会社の依頼により2019年に作曲された作品。
 天地開闢とは、『日本書紀』や『古事記』などで描かれる世界の誕生の物語のこと。しかし、本作において今村は、アイヌに伝わる叙事詩『カムイユカラ』における天地開闢を題材に選んでいる。
 打楽器と低音楽器群のDis音の連打の中、アイヌ儀礼的な音楽の一種である「ウポポ」と、ウポポの特徴的な技法のひとつである「ウコウク」を模した呪術的・土俗的な旋律がフルートによって歌われる。ここでは伴奏のDis音と旋律のA音が、増4度という不安定な音程を生み出し、作品全体に独特のベールをまとわせている。日本の伝統的な音楽に特徴的なヘテロフォニックな響きも聴こえる中、今度は「リムセ」と呼ばれる(主に舞踏を伴う)音楽を模した、急速で舞踏的な音楽が展開される。このウポポとリムセを模した旋律と共に、無の空間に天地が切り拓かれてゆく。その後、創造された天地の自然を讃える歌が繰り返され、冒頭の増4度は、C音とG音の完全5度という完成された響きへと解決する。
 今村は本作を「[北海道出身の両親を持つ]自分が過去に何度か北海道に訪れての印象を自分なりに咀嚼して音に綴った作品」だと述べる。つまり本作は、自身のルーツと成り得る「未知なるもの(神話)」をアイヌの伝統的な文化と北海道の自然の印象から描き出した一種の自伝的作品とも捉えられるだろう。


【客席固定カメラ|小編成】今村愛紀:天地開闢ー神謡



野呂 望:カンタービレアレグロ
 野呂(1993 - )もまたこれからの活躍が期待される若手作曲家のひとり。「響宴」で取り上げられたことも記憶に新しい《あなたとワルツを踊りたい》でも聴かれた確固たる書法から生み出される優美な世界は聴くものを魅了する。
 《カンタービレアレグロ》は2018年に作曲された作品。野呂は本作を「特に部活動などの教育的観点にも着目して作曲されているが、Des-Durという調や、アレグロ部分のリズム、ビート感など、馴染みの薄いであろう音楽に触れてほしいと考えた」と語る。つまり、本作は若者に向け「未知なるもの(音楽)」を提示しようと試みた作品でもある。
 Cantabile espressivo(想いをこめて歌うように)と指示された冒頭は、野呂の語ったようにDes-Durが中心。18世紀ドイツの詩人であり音楽家でもあったF.C.シューバルトは、その著書『音楽美学の概念 Ideen zu einer Ästhetik der Tonkunst』(1806年)の中で、調のキャラクターを見事に言葉で示している(調性格論と呼ばれ、ベートーヴェンにも強い影響を与えた)が、彼によればDes-Durは「悲しみと喜びが交差し、笑えないけれど微笑む、というような感情を表す」調。本作の冒頭もまた、言葉では言い表すことのできない想いが響く。続くAllegroの快速な部分は、ラテン音楽で用いられるリズムパターン「クラーベ」に似たリズム動機を用いて展開される。高速道路を流れてゆく自動車のライトと夜景、風と共に消えてゆくラジオの音、少しの懐かしさが、わたしたちに居場所を与えてくれる。


【客席固定カメラ|小編成】野呂望:カンタービレとアレグロ


野呂 望:“Illuminate the Future”~朝焼けラプソディー
 《“Illuminate the Future”~朝焼けラプソディー》は、静岡県聖隷クリストファー中・高等学校吹奏楽部と大江戸シンフォニックウィンドオーケストラの共同委嘱によって2019年に作曲された。「光の波長や空気などの影響で辺り一面を眩しく照らす朝焼け。この光景を目にした時の言葉にできない心情を、強弱、緩急共に激しく揺らぎ、移り変わる曲調に変換した。場合によっては雨になる予兆とも言われている朝焼けだが、それ以上にその日を照らす、ひいては未来を照らすその光に、僅かでも希望を見出したい」という野呂の言葉から、わたしたちはまたも「未知なるもの」の影を感じることができるだろう。
 冒頭、朝靄に光が差し込むように、断片的な動機が少しずつ旋律へと収束してゆく。最も重要なのはクラリネットが示す、語りかけてくるような性格を持つ旋律。Allegro con anima(魂をこめて)と指示された勇ましくも不安げな部分、嵐の予感に続くAndante delicato(繊細な歩調で)と指示された美しい中間部などを経て、音楽は「未来を照らす光・希望」へと変容してゆく。


【客席固定カメラ|小編成|世界初演】野呂望:Illuminate the Future ~ 朝焼けラプソディ


和田 直也:アセント
 和田(1986 - )はすでに日本のみならず、世界中で作品が人気を集めている作曲家。《アセント》は東京都の岩倉高等学校吹奏楽部の委嘱によって2019年に作曲された作品。岩倉高校による初演時には「アセント」というタイトルは付けられておらず、総譜の最初のページには、単に「CONCERT BAND 2019 新たなる時代への讃歌」とだけ記されている。そのため、日本語で「上昇」や「向上」などを意味する英語「アセント Ascent」というタイトルで作品が演奏されるのは本日が初めて。
 With Splendor(輝いて)と指示された冒頭、サクソフォンとホルンによる力強いファンファーレで音楽は幕を開ける。その後、小太鼓が導き出す主部では、冒頭の旋律に基づいた主題がサクソフォンとホルン、そしてユーフォニアムによって奏される。この主題はB-DurからEs-DurそしてF-Durと転調してゆく中でも、悠然と歌い継がれる。クラリネットによる少し寂しげな旋律も現れるが、その後さらに決然と高らかに主題が掲げられ、As-Durの堂々たる終結へと突き進む。
 当初総譜に書き込まれた「新たなる時代への讃歌」の言葉通り、音楽はB-DurからAs-Durへと「未知なるもの(風景)」を描きながら進む。そしてまた、輝かしい「未知なるもの(未来)」を讃えてゆく。


【客席固定カメラ|中編成】和田直也:アセント


八木澤 教司:ファセクラ
 八木澤(1975 - )も、世界で知られる日本の作曲家のひとり。《ファセクラ》は東北福祉大学吹奏楽部の委嘱により2015年に作曲された。「ファセクラ」とは仙台藩主、伊達政宗の家臣であった江戸時代初期の武士支倉常長のこと。常長は政宗の命により1613年にスペイン、そしてローマへ派遣され、その際にローマの市民権を獲得。常長の持ち帰った様々な文書などは、現在『慶長遣欧使節関係資料』として国宝となっている。その資料の中で、常長の名が「hasekura」ではなく「faxecvra」と記されている箇所があることから、常長はヨーロッパの人々に「ファセクラ」と呼ばれていたと考えられている。八木澤は本作について「支倉常長が大航海を通じて見たものは何か、日本とは異なる新たな地で何を感じたのかをイメージした」と語っている。本作もまた常長の経験を通して「未知なるもの」に触れようとしている。
 壮大な物語の語り出しに相応しい重々しい前奏に続き、ホルンとユーフォニアムによっていささか古風な旋律が提示される。この旋律はわずかに旋法的であると同時に、少しずつ日本的な要素(例えば隣接音の反復やピッコロの合いの手など)が加わってゆく。この優美な流れは突如断ち切られるが、それは長い旅路への不安を示しているかのよう。その後、Allegro con brio(生き生きと)と指示された部分では、サクソフォンの旋律を模倣しながら、航海の様子を描いてゆく。途中、グレゴリオ聖歌風の旋律が現れたり、冒頭の旋律が再現・展開されるなどしながら、常長の物語が紡がれてゆく。


【客席固定カメラ】八木澤教司:ファセクラ



ムジカ・ムンダーナ――未知なるものへのあこがれ
 かつて人々は、世界の摂理に音楽を聴いた。宇宙や大自然の音楽(ムジカ・ムンダーナ)、わたしたちの身体の中を巡る音楽(ムジカ・フマーナ)――わたしたちは、いまだ聴いたことのない響きに囲まれている。
 第1部で聴いてきたように、作曲家は「未知なるもの」を追い求め、それぞれの手法で表現している。その在り方は様々であるが、第2部では「未知なるもの」の中でも、古の時代から人々を魅了し、時にその文化に影響を与え続けてきた「Star」に関係する作品を聴いていただく。

ジョン・ウィリアムズ(ポール・ラヴェンダー 編):サモン・ザ・ヒーロー
 ウィリアムズ(1932 - )は、言わずと知れた映画音楽の分野の巨匠。《サモン・ザ・ヒーロー》は1996年のアトランタ五輪、そして近代五輪100周年を記念して作曲された作品。「Summon The Heroes」とは「出でよ、英雄たち」と言った意味であるが、五輪で活躍するアスリートたちを讃える意味と考えてよいだろう。つまり、ここでの「Star」は「花形」を意味する。自分自身の限界(未知なるもの)へ挑戦を続けるアスリートを讃えるために、これほど適した音楽は他にないと言っても過言ではない。編曲者のポール・ラヴェンダーはアメリカの作曲家。ウィリアムズの多くの作品の編曲を手掛けている。
 本作は冒頭のファンファーレ主題を変奏してゆく形で全体が構成されている。Heroically(雄々しく)と指示された冒頭〈ファンファーレ〉では作品全体の主題がトランペットを中心とした金管群によって提示される。打楽器群の打ち込みも印象的。続く〈プロローグ〉はトランペットのソロを中心とした音楽。本作はウィリアムズが信頼を置いたトランペット奏者ティム・モリソン(1955 - )に捧げられており、この部分はトランペットの「Star」であったモリソンの音色を想定していたのだろう。世界の国旗がはためくきらびやかな様子を思わせる〈旗々〉、小太鼓の勇壮なリズムの上で再びファンファーレ主題が奏される〈パレード〉と続き、平和とスポーツの祭典の様子が見事に描き出される。


【客席固定カメラ】John Williams/Paul Lavender:サモン・ザ・ヒーロー


芳賀 傑:星屑パレット
 2018年、第6回クードヴァン国際交響吹奏楽作曲コンクールで第1位および聴衆賞を受賞した芳賀(1989 - )は、考え抜かれた音の糸を丁寧に織り込んで作られる響きが聴き手の深部へと浸透してゆくような作品を手掛ける、若手作曲家のホープ
 本作《星屑パレット》は、上述のコンクールで第1位を受賞した作品《水面に映るグラデーションの空》から一部分を独立させた作品。2016年に作曲された《水面に映るグラデーションの空》は、2011年の東日本大震災と、芳賀の留学中に起こったという2015年のパリ同時多発テロの悲しみをテーマに、平和とは何かを問う作品で、芳賀は「私にできる唯一の事は、優しい音を書く事だった」と語る。その《水面に映るグラデーションの空》から独立する形で2018年に生まれた《星屑パレット》についても、「流した涙が夜空を映す水面に落ちて、星屑となってきらきらと煌めく」と芳賀は語っている。どんなに年月が経っても変わることのない優しさが、独立したこの短い作品にも、たしかに流れている。
 静寂で満ちたヴィブラフォンの中から、ひとつの音(As音)が現れ、それが波紋の如く広がってゆく。断片的だった響きも、少しずつ旋律を形成し、その旋律もまた楽器が重ねられることで響きが増してゆく。この控えめな――しかし、だからこそ美しい――聯絡は、人類がひとつひとつの星を繋げ星座を見出す行為にも似ている。次第に明らかになってゆくF-Durという本作に設定された調は、先述のシューバルトの調性格論によれば「平安」を意味し、シューバルトよりも前に調性格論を説いた17世紀の作曲家でもあり音楽思想家でもあったJ.マッテゾンの著書『新設のオルケストラ Das neu-eröffnete Orchestre』(1713年)によれば「この世のもっとも美しい感情を表現することができる」調である。「Star」つまり「星」という「未知なるもの」が、これもまた「未知なるもの」である平和を祈りながら輝く美しい小品。


【客席固定カメラ】芳賀傑:星屑パレット


グスターヴ・ホルスト(高木 登古 編):組曲「惑星」より
 ホルスト(1874 - 1934)はイギリスの作曲家。吹奏楽の作品として《第1組曲》や《第2組曲》が知られているが、彼の代表作は大編成のオーケストラのために書かれた組曲《惑星》で間違いないだろう。
 19世紀から20世紀にかけての混沌とした時代の空気は、人々を「未知なるもの」、ここでは「オカルト」へと走らせた。その中から現れたのがA.レオの活躍によりイギリスで流行した占星術であった。ホルストもまた1913年に友人の劇作家C.バックスから占星術について話を聞いており、その影響が1917年頃に完成した《惑星》に色濃く残されている。《惑星》は7つの楽章から成り、それぞれの楽章に惑星の名前とそれを示す性格がタイトルとして付けられているが、それは占星術師レオの著作『統合の技法 The Art of Synthesis』(1912年)や『占星術の方法 What Is a Horoscope and How Is It Cast?』(1913年)の中で惑星に付けられた性格と一致しているのである(ただし、各楽章に付けられたタイトルは自筆総譜には記されておらず、おそらく初演時に追加されたものと推測される)。また、1914年にホルストが聴いたA.シェーンベルクの《管弦楽のための5つの小品》(ホルストは当初《惑星》ではなく「管弦楽のための7つの小品」と名付けようとしていたと言われている)や、I.ストラヴィンスキーの作品からも少なからず影響を受けたということが明らかにされている。
 本日は7つある楽章の中から有名な2つの楽章を取り上げる。編曲者の高木登古は《マーチ「ブルースカイ」》のようなオリジナル作品の作曲のみならず、数多くの管弦楽作品の編曲を行う作曲家。本作の編曲も原曲の雰囲気を損なわないよう丁寧なトランスクリプションが行われている。

第1曲〈火星――戦争をもたらすもの〉
 怪しげな5拍子のリズムパターンが常に響く中で重々しく提示される最初の主題は、増4度の音程関係(G音とDes音)で枠組みが作られているため、聴き手に不安を抱かせる。冒頭の主題が重なってゆき頂点へと至るが、その直前にユーフォニアムやトランペットによって行われる信号音の交差は、「追撃 pursuit」とも呼ばれるホルストの特徴的な書法のひとつ。これもまた聴き手を焦燥に駆る。その後、様々なリズムの旋律が重なりながら、音楽は混沌へと至る。低音楽器群が地の底を這うような不気味な旋律を奏すると、音楽は再び冒頭のリズムパターンへと回帰する。その後は、これまでの主題を短く再現しつつ、壮絶な終結へと至る。常に何か恐ろしいものに追われているかのような印象を抱く作品。
第4曲〈木星――快楽をもたらすもの〉
 《惑星》で最も知られた楽章が、この〈木星〉であろう。木管楽器の跳ね回る動機の中で、サクソフォンとホルンがファンファーレ風の旋律を華やかに、しかし重々しく奏する。この旋律を用いた序奏は突如として中断され、クラリネットサクソフォン、そしてホルンによって最初の主題があたかも行進曲のように提示される。序奏の旋律がわずかに現れると、今度は3拍子の舞曲風の音楽へと変わる。この舞踏が熱を増してゆくと、突然Ges-Durの主和音が強烈に鳴り響き、テンポを落としてゆく。Andante maestoso(壮麗な歩調で)と指示された中間部の有名な旋律は、ホルストの愛したイギリスの民謡でも用いられる、音階の第4音を使用しない音列で作られているため、原初の懐かしさを感じさせる。様々な性格の旋律が入り乱れた〈木星〉であるが、最後はC-Durの主和音で輝かしい終結を迎える。


【客席固定カメラ】Gustav Holst/高木登古:組曲「惑星」Op 32より 火星・木星



 ホルストが描いた「Star」は「未知なるもの」へのあこがれから生まれた占星術のことであることは、もうお気づきだろう。たとえホルスト自身が「標題と作品は直接関係しない」と語ったとしても、《惑星》の中には「未知なるもの」を希求する好奇心が見え隠れする。
 「未知なるもの」は音楽だけに影響するものではない。音楽以外の芸術や学問、スポーツ、日常の取り留めもないようなこと...どのようなことでも「未知なるもの」は人間を動かすエネルギーに成り得る。しかし、音楽ほど「未知なるもの」にあこがれたものを人類はまだ他に持っていない。目には見えないけれど、たしかにわたしたちの前に存在する響きに耳を澄ませば、「未知なるもの」が聴こえてくる。

石原 勇太郎(音楽学

 

アンコール


【客席固定カメラ】J.P.Sousa:海を越える握手


【客席固定カメラ】坂井貴祐:アプローズ!