第8回定期演奏会(2020年2月22日開催)|客席固定カメラ

耳を澄ませば聴こえてくる、未知なるもの――
 J.S.バッハモーツァルトベートーヴェン...西洋音楽史にその名を刻んだ作曲家たちの傑作も、当時は「未知なるもの」であった。誰も聴いたことがない響き、それを求めた作曲家や、聴衆によって音楽は発展を続けてきた。
 作曲家は「未知なるもの(響き)」を追い、わたしたちの前にまた「未知なるもの(作品)」を提示してくれる。そしてそれは、わたしたちよりも何世代も先の「未知なるもの(者)」へと受け継がれてゆく。音楽はこの美しい「未知なるもの」の連鎖で太古から繋がってきた。本日演奏される作品も、その鎖の一欠片になったもの、あるいは、これから美しい鎖に繋がれてゆく一欠片なのである。

建部 知弘:ダンス・セレブレーション
 建部(1957 - )は、外連味がなくとても親しみやすい作品で知られている人気作曲家のひとり。本作《ダンス・セレブレーション》は、建部の出身地、新潟県のアマチュア吹奏楽団である糸魚川吹奏楽団の創立25周年を記念して2000年に作曲された作品。2001年には「響宴」でも取り上げられるなど、現在まで広く演奏され続けている。
 木管楽器群の華やかなトリルや金管楽器群のファンファーレ風の動機が祝典的な雰囲気を作り出す。その後提示されるクラリネットを中心とした旋律は、3拍子と2拍子のあらゆるリズムの可能性を内包しているが、その旋律は淀みなく流れる。旋律は最終的に讃歌風の音楽へと変わり、未来を祝福するような燦然たる多幸感に包まれてゆく。
 建部は本作について「『実は私は踊りたかったんだ!』と云う、作曲当時の自分の心象が反映しています」と語っている。そう、本作は現実には成り得なかった「未知なるもの」を希求した作品でもある。


【客席固定カメラ】建部知弘:ダンス・セレブレーション


今村 愛紀:天地開闢 ― 神謡
 今村(1987 - )は、現在精力的に活動している若手作曲家のひとり。その作品は《鳥の楽園》のように、繊細な響きを一粒一粒掬い取ってゆくものから、《たそがれの狐》のような、和を湛えた作品など幅広い。本作《天地開闢 ― 神謡》は、東京音楽制作合同会社の依頼により2019年に作曲された作品。
 天地開闢とは、『日本書紀』や『古事記』などで描かれる世界の誕生の物語のこと。しかし、本作において今村は、アイヌに伝わる叙事詩『カムイユカラ』における天地開闢を題材に選んでいる。
 打楽器と低音楽器群のDis音の連打の中、アイヌ儀礼的な音楽の一種である「ウポポ」と、ウポポの特徴的な技法のひとつである「ウコウク」を模した呪術的・土俗的な旋律がフルートによって歌われる。ここでは伴奏のDis音と旋律のA音が、増4度という不安定な音程を生み出し、作品全体に独特のベールをまとわせている。日本の伝統的な音楽に特徴的なヘテロフォニックな響きも聴こえる中、今度は「リムセ」と呼ばれる(主に舞踏を伴う)音楽を模した、急速で舞踏的な音楽が展開される。このウポポとリムセを模した旋律と共に、無の空間に天地が切り拓かれてゆく。その後、創造された天地の自然を讃える歌が繰り返され、冒頭の増4度は、C音とG音の完全5度という完成された響きへと解決する。
 今村は本作を「[北海道出身の両親を持つ]自分が過去に何度か北海道に訪れての印象を自分なりに咀嚼して音に綴った作品」だと述べる。つまり本作は、自身のルーツと成り得る「未知なるもの(神話)」をアイヌの伝統的な文化と北海道の自然の印象から描き出した一種の自伝的作品とも捉えられるだろう。


【客席固定カメラ|小編成】今村愛紀:天地開闢ー神謡



野呂 望:カンタービレアレグロ
 野呂(1993 - )もまたこれからの活躍が期待される若手作曲家のひとり。「響宴」で取り上げられたことも記憶に新しい《あなたとワルツを踊りたい》でも聴かれた確固たる書法から生み出される優美な世界は聴くものを魅了する。
 《カンタービレアレグロ》は2018年に作曲された作品。野呂は本作を「特に部活動などの教育的観点にも着目して作曲されているが、Des-Durという調や、アレグロ部分のリズム、ビート感など、馴染みの薄いであろう音楽に触れてほしいと考えた」と語る。つまり、本作は若者に向け「未知なるもの(音楽)」を提示しようと試みた作品でもある。
 Cantabile espressivo(想いをこめて歌うように)と指示された冒頭は、野呂の語ったようにDes-Durが中心。18世紀ドイツの詩人であり音楽家でもあったF.C.シューバルトは、その著書『音楽美学の概念 Ideen zu einer Ästhetik der Tonkunst』(1806年)の中で、調のキャラクターを見事に言葉で示している(調性格論と呼ばれ、ベートーヴェンにも強い影響を与えた)が、彼によればDes-Durは「悲しみと喜びが交差し、笑えないけれど微笑む、というような感情を表す」調。本作の冒頭もまた、言葉では言い表すことのできない想いが響く。続くAllegroの快速な部分は、ラテン音楽で用いられるリズムパターン「クラーベ」に似たリズム動機を用いて展開される。高速道路を流れてゆく自動車のライトと夜景、風と共に消えてゆくラジオの音、少しの懐かしさが、わたしたちに居場所を与えてくれる。


【客席固定カメラ|小編成】野呂望:カンタービレとアレグロ


野呂 望:“Illuminate the Future”~朝焼けラプソディー
 《“Illuminate the Future”~朝焼けラプソディー》は、静岡県聖隷クリストファー中・高等学校吹奏楽部と大江戸シンフォニックウィンドオーケストラの共同委嘱によって2019年に作曲された。「光の波長や空気などの影響で辺り一面を眩しく照らす朝焼け。この光景を目にした時の言葉にできない心情を、強弱、緩急共に激しく揺らぎ、移り変わる曲調に変換した。場合によっては雨になる予兆とも言われている朝焼けだが、それ以上にその日を照らす、ひいては未来を照らすその光に、僅かでも希望を見出したい」という野呂の言葉から、わたしたちはまたも「未知なるもの」の影を感じることができるだろう。
 冒頭、朝靄に光が差し込むように、断片的な動機が少しずつ旋律へと収束してゆく。最も重要なのはクラリネットが示す、語りかけてくるような性格を持つ旋律。Allegro con anima(魂をこめて)と指示された勇ましくも不安げな部分、嵐の予感に続くAndante delicato(繊細な歩調で)と指示された美しい中間部などを経て、音楽は「未来を照らす光・希望」へと変容してゆく。


【客席固定カメラ|小編成|世界初演】野呂望:Illuminate the Future ~ 朝焼けラプソディ


和田 直也:アセント
 和田(1986 - )はすでに日本のみならず、世界中で作品が人気を集めている作曲家。《アセント》は東京都の岩倉高等学校吹奏楽部の委嘱によって2019年に作曲された作品。岩倉高校による初演時には「アセント」というタイトルは付けられておらず、総譜の最初のページには、単に「CONCERT BAND 2019 新たなる時代への讃歌」とだけ記されている。そのため、日本語で「上昇」や「向上」などを意味する英語「アセント Ascent」というタイトルで作品が演奏されるのは本日が初めて。
 With Splendor(輝いて)と指示された冒頭、サクソフォンとホルンによる力強いファンファーレで音楽は幕を開ける。その後、小太鼓が導き出す主部では、冒頭の旋律に基づいた主題がサクソフォンとホルン、そしてユーフォニアムによって奏される。この主題はB-DurからEs-DurそしてF-Durと転調してゆく中でも、悠然と歌い継がれる。クラリネットによる少し寂しげな旋律も現れるが、その後さらに決然と高らかに主題が掲げられ、As-Durの堂々たる終結へと突き進む。
 当初総譜に書き込まれた「新たなる時代への讃歌」の言葉通り、音楽はB-DurからAs-Durへと「未知なるもの(風景)」を描きながら進む。そしてまた、輝かしい「未知なるもの(未来)」を讃えてゆく。


【客席固定カメラ|中編成】和田直也:アセント


八木澤 教司:ファセクラ
 八木澤(1975 - )も、世界で知られる日本の作曲家のひとり。《ファセクラ》は東北福祉大学吹奏楽部の委嘱により2015年に作曲された。「ファセクラ」とは仙台藩主、伊達政宗の家臣であった江戸時代初期の武士支倉常長のこと。常長は政宗の命により1613年にスペイン、そしてローマへ派遣され、その際にローマの市民権を獲得。常長の持ち帰った様々な文書などは、現在『慶長遣欧使節関係資料』として国宝となっている。その資料の中で、常長の名が「hasekura」ではなく「faxecvra」と記されている箇所があることから、常長はヨーロッパの人々に「ファセクラ」と呼ばれていたと考えられている。八木澤は本作について「支倉常長が大航海を通じて見たものは何か、日本とは異なる新たな地で何を感じたのかをイメージした」と語っている。本作もまた常長の経験を通して「未知なるもの」に触れようとしている。
 壮大な物語の語り出しに相応しい重々しい前奏に続き、ホルンとユーフォニアムによっていささか古風な旋律が提示される。この旋律はわずかに旋法的であると同時に、少しずつ日本的な要素(例えば隣接音の反復やピッコロの合いの手など)が加わってゆく。この優美な流れは突如断ち切られるが、それは長い旅路への不安を示しているかのよう。その後、Allegro con brio(生き生きと)と指示された部分では、サクソフォンの旋律を模倣しながら、航海の様子を描いてゆく。途中、グレゴリオ聖歌風の旋律が現れたり、冒頭の旋律が再現・展開されるなどしながら、常長の物語が紡がれてゆく。


【客席固定カメラ】八木澤教司:ファセクラ



ムジカ・ムンダーナ――未知なるものへのあこがれ
 かつて人々は、世界の摂理に音楽を聴いた。宇宙や大自然の音楽(ムジカ・ムンダーナ)、わたしたちの身体の中を巡る音楽(ムジカ・フマーナ)――わたしたちは、いまだ聴いたことのない響きに囲まれている。
 第1部で聴いてきたように、作曲家は「未知なるもの」を追い求め、それぞれの手法で表現している。その在り方は様々であるが、第2部では「未知なるもの」の中でも、古の時代から人々を魅了し、時にその文化に影響を与え続けてきた「Star」に関係する作品を聴いていただく。

ジョン・ウィリアムズ(ポール・ラヴェンダー 編):サモン・ザ・ヒーロー
 ウィリアムズ(1932 - )は、言わずと知れた映画音楽の分野の巨匠。《サモン・ザ・ヒーロー》は1996年のアトランタ五輪、そして近代五輪100周年を記念して作曲された作品。「Summon The Heroes」とは「出でよ、英雄たち」と言った意味であるが、五輪で活躍するアスリートたちを讃える意味と考えてよいだろう。つまり、ここでの「Star」は「花形」を意味する。自分自身の限界(未知なるもの)へ挑戦を続けるアスリートを讃えるために、これほど適した音楽は他にないと言っても過言ではない。編曲者のポール・ラヴェンダーはアメリカの作曲家。ウィリアムズの多くの作品の編曲を手掛けている。
 本作は冒頭のファンファーレ主題を変奏してゆく形で全体が構成されている。Heroically(雄々しく)と指示された冒頭〈ファンファーレ〉では作品全体の主題がトランペットを中心とした金管群によって提示される。打楽器群の打ち込みも印象的。続く〈プロローグ〉はトランペットのソロを中心とした音楽。本作はウィリアムズが信頼を置いたトランペット奏者ティム・モリソン(1955 - )に捧げられており、この部分はトランペットの「Star」であったモリソンの音色を想定していたのだろう。世界の国旗がはためくきらびやかな様子を思わせる〈旗々〉、小太鼓の勇壮なリズムの上で再びファンファーレ主題が奏される〈パレード〉と続き、平和とスポーツの祭典の様子が見事に描き出される。


【客席固定カメラ】John Williams/Paul Lavender:サモン・ザ・ヒーロー


芳賀 傑:星屑パレット
 2018年、第6回クードヴァン国際交響吹奏楽作曲コンクールで第1位および聴衆賞を受賞した芳賀(1989 - )は、考え抜かれた音の糸を丁寧に織り込んで作られる響きが聴き手の深部へと浸透してゆくような作品を手掛ける、若手作曲家のホープ
 本作《星屑パレット》は、上述のコンクールで第1位を受賞した作品《水面に映るグラデーションの空》から一部分を独立させた作品。2016年に作曲された《水面に映るグラデーションの空》は、2011年の東日本大震災と、芳賀の留学中に起こったという2015年のパリ同時多発テロの悲しみをテーマに、平和とは何かを問う作品で、芳賀は「私にできる唯一の事は、優しい音を書く事だった」と語る。その《水面に映るグラデーションの空》から独立する形で2018年に生まれた《星屑パレット》についても、「流した涙が夜空を映す水面に落ちて、星屑となってきらきらと煌めく」と芳賀は語っている。どんなに年月が経っても変わることのない優しさが、独立したこの短い作品にも、たしかに流れている。
 静寂で満ちたヴィブラフォンの中から、ひとつの音(As音)が現れ、それが波紋の如く広がってゆく。断片的だった響きも、少しずつ旋律を形成し、その旋律もまた楽器が重ねられることで響きが増してゆく。この控えめな――しかし、だからこそ美しい――聯絡は、人類がひとつひとつの星を繋げ星座を見出す行為にも似ている。次第に明らかになってゆくF-Durという本作に設定された調は、先述のシューバルトの調性格論によれば「平安」を意味し、シューバルトよりも前に調性格論を説いた17世紀の作曲家でもあり音楽思想家でもあったJ.マッテゾンの著書『新設のオルケストラ Das neu-eröffnete Orchestre』(1713年)によれば「この世のもっとも美しい感情を表現することができる」調である。「Star」つまり「星」という「未知なるもの」が、これもまた「未知なるもの」である平和を祈りながら輝く美しい小品。


【客席固定カメラ】芳賀傑:星屑パレット


グスターヴ・ホルスト(高木 登古 編):組曲「惑星」より
 ホルスト(1874 - 1934)はイギリスの作曲家。吹奏楽の作品として《第1組曲》や《第2組曲》が知られているが、彼の代表作は大編成のオーケストラのために書かれた組曲《惑星》で間違いないだろう。
 19世紀から20世紀にかけての混沌とした時代の空気は、人々を「未知なるもの」、ここでは「オカルト」へと走らせた。その中から現れたのがA.レオの活躍によりイギリスで流行した占星術であった。ホルストもまた1913年に友人の劇作家C.バックスから占星術について話を聞いており、その影響が1917年頃に完成した《惑星》に色濃く残されている。《惑星》は7つの楽章から成り、それぞれの楽章に惑星の名前とそれを示す性格がタイトルとして付けられているが、それは占星術師レオの著作『統合の技法 The Art of Synthesis』(1912年)や『占星術の方法 What Is a Horoscope and How Is It Cast?』(1913年)の中で惑星に付けられた性格と一致しているのである(ただし、各楽章に付けられたタイトルは自筆総譜には記されておらず、おそらく初演時に追加されたものと推測される)。また、1914年にホルストが聴いたA.シェーンベルクの《管弦楽のための5つの小品》(ホルストは当初《惑星》ではなく「管弦楽のための7つの小品」と名付けようとしていたと言われている)や、I.ストラヴィンスキーの作品からも少なからず影響を受けたということが明らかにされている。
 本日は7つある楽章の中から有名な2つの楽章を取り上げる。編曲者の高木登古は《マーチ「ブルースカイ」》のようなオリジナル作品の作曲のみならず、数多くの管弦楽作品の編曲を行う作曲家。本作の編曲も原曲の雰囲気を損なわないよう丁寧なトランスクリプションが行われている。

第1曲〈火星――戦争をもたらすもの〉
 怪しげな5拍子のリズムパターンが常に響く中で重々しく提示される最初の主題は、増4度の音程関係(G音とDes音)で枠組みが作られているため、聴き手に不安を抱かせる。冒頭の主題が重なってゆき頂点へと至るが、その直前にユーフォニアムやトランペットによって行われる信号音の交差は、「追撃 pursuit」とも呼ばれるホルストの特徴的な書法のひとつ。これもまた聴き手を焦燥に駆る。その後、様々なリズムの旋律が重なりながら、音楽は混沌へと至る。低音楽器群が地の底を這うような不気味な旋律を奏すると、音楽は再び冒頭のリズムパターンへと回帰する。その後は、これまでの主題を短く再現しつつ、壮絶な終結へと至る。常に何か恐ろしいものに追われているかのような印象を抱く作品。
第4曲〈木星――快楽をもたらすもの〉
 《惑星》で最も知られた楽章が、この〈木星〉であろう。木管楽器の跳ね回る動機の中で、サクソフォンとホルンがファンファーレ風の旋律を華やかに、しかし重々しく奏する。この旋律を用いた序奏は突如として中断され、クラリネットサクソフォン、そしてホルンによって最初の主題があたかも行進曲のように提示される。序奏の旋律がわずかに現れると、今度は3拍子の舞曲風の音楽へと変わる。この舞踏が熱を増してゆくと、突然Ges-Durの主和音が強烈に鳴り響き、テンポを落としてゆく。Andante maestoso(壮麗な歩調で)と指示された中間部の有名な旋律は、ホルストの愛したイギリスの民謡でも用いられる、音階の第4音を使用しない音列で作られているため、原初の懐かしさを感じさせる。様々な性格の旋律が入り乱れた〈木星〉であるが、最後はC-Durの主和音で輝かしい終結を迎える。


【客席固定カメラ】Gustav Holst/高木登古:組曲「惑星」Op 32より 火星・木星



 ホルストが描いた「Star」は「未知なるもの」へのあこがれから生まれた占星術のことであることは、もうお気づきだろう。たとえホルスト自身が「標題と作品は直接関係しない」と語ったとしても、《惑星》の中には「未知なるもの」を希求する好奇心が見え隠れする。
 「未知なるもの」は音楽だけに影響するものではない。音楽以外の芸術や学問、スポーツ、日常の取り留めもないようなこと...どのようなことでも「未知なるもの」は人間を動かすエネルギーに成り得る。しかし、音楽ほど「未知なるもの」にあこがれたものを人類はまだ他に持っていない。目には見えないけれど、たしかにわたしたちの前に存在する響きに耳を澄ませば、「未知なるもの」が聴こえてくる。

石原 勇太郎(音楽学

 

アンコール


【客席固定カメラ】J.P.Sousa:海を越える握手


【客席固定カメラ】坂井貴祐:アプローズ!

 

 

【期間限定】天野正道60TH記念公演 アニバーサリー・コンサートツアー FINAL(2018年1月6日開催)

【期間限定】天野正道60TH記念公演 アニバーサリー・コンサートツアー FINAL(2018年1月6日開催)
 
作曲:天野正道
 
司会:関井うらら
 
演奏:大江戸シンフォニックウィンドオーケストラ
指揮:樫野哲也
 
♪プログラム
M-1 クラリネット8重奏 ドゥ・ダン
M-2 祝祭ファンファーレ
M-3 エスティロ・デ・エスパーニャ・ポル・ケ?
 
日本アカデミー賞音楽部門優秀賞等の受賞歴を持つ日本を代表する作曲家天野正道氏が2017年60歳の還暦を迎えた。
全国各地で記念公演が行われついに〈千秋楽〉を迎える。
東京最終公演では、東京の吹奏楽団が天野氏に過去に委嘱作品した曲や全国大会で演奏した曲を中心にセレクト。とても聴きやすい内容になっている。この日の為に1日限りの復活をするバンドも!

【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第2部 A.リード&J.バーンズステージ | プログラムノート石原勇太郎

 

・春の猟犬[A.リード][約9分]
交響曲第3番[J.バーンズ][約40分]

リードとバーンズ――「吹奏楽」を作った作曲家たち
 現在でこそ吹奏楽の作品は多様化し、その形式や様式も個性的なものが見られるようになった。しかし、多くの人々が想像する「吹奏楽」的な響きのする書法や、わかりやすく教育的な配慮のなされた形式などは、A.リードやJ.バーンズが確立したと言えるだろう。もちろん、吹奏楽史なるものが、今後より学術的に研究されるようになれば、彼らの用いた様式や書法も、また別のところにその根源をみることになるだろう。しかし、リードやバーンズが作り上げたと言っても過言ではない「吹奏楽」の伝統は、作品が多様化した現在においても、間違いなく生き続けている。そのことは、これから演奏する2つの作品からも聴くことができるだろう。

 

アルフレッド・リード 春の猟犬
 イギリスの詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(1837-1909)が、1865年に発表したギリシャ悲劇の形式に則った詩劇『カリドンのアタランタ』の中に、次のような一節が見られる。「春の猟犬が冬の足跡を追いかける時、牧場や平原にて月々の女神が、暗がりと風の吹き抜ける場所を、葉の擦れる音と雨の滴る音で満たす」――この一節からインスピレーションを受け、1980年に作曲されたのが《春の猟犬》である。スウィンバーンの詩自体は、ギリシャ神話と深く繋がっており、死をも暗喩するものである。しかし《春の猟犬》はそれらとは無関係に、スウィンバーンの詩からリードが直接感じた「あふれんばかりの若々しい快活さ」と「優しい愛の甘み」を音楽で描こうと試みたと語っている。
 「あふれんばかりの若々しい快活さ」はテンポの速い主部で示される。春の訪れを喜ぶかのような、拍子の交代を伴った躍動感あふれる短い前奏に続く主部は、6/8拍子の音楽。6/8拍子は西洋芸術音楽の伝統の中では、かつてから「狩り」を示す音楽である。また主部で中心的なF-Durは自然や田園風景を描く際に多く用いられる調である。このように、音楽の様々な点で春の訪れを祝う。対して中間部は「優しい愛の甘み」を示す、ゆったりとした部分。As-Durで開始するが、すぐにF-Durへと戻り、大自然の中で愛を語り合う。テンポを取り戻すと主部へと戻るが、後半では主部と中間部の旋律が同時に鳴り響く圧倒的なクライマックスを形成する。

 

ジェームズ・バーンズ 交響曲第3番
 1994年に完成した3番目の交響曲について、バーンズは「この交響曲はわたしが今まで作った作品の中で、最も感情的なものが流れ出している作品です。もしこの作品に副題を与えるとしたら『悲劇的』が適切であると確信しています」と語っている。《交響曲第3番》を作曲し始めた時期は、丁度生まれたばかりのバーンズの娘ナタリーが天へと旅立ったばかりであった。そのため、本作は一種のレクイエム的な要素を併せ持つ交響曲となっている。バーンズが語るように、本作は「絶望の淵である暗闇から充実感と喜びの輝き」に至る劇作法を取るが、これは西洋芸術音楽における交響曲の伝統――すなわち、L.v.ベートーヴェンの《交響曲第5番》に端を発する構成法と一致する。
 第1楽章は交響曲の伝統に則った序奏付きのソナタ形式による楽章。ソナタ形式というのは総譜に記された解説によるものであるが、本作の第1楽章は明確なソナタ形式に則ったものとは言い難い。むしろバーンズの絶望的感情を吐露するような、憂鬱で途切れることのないひとつの線が楽章を支配している。これはソナタ形式のような確固たるものではなく、むしろR.ワーグナーの劇作品に見られるような今にも崩れ落ちそうなほどの彷徨いである。冒頭でティンパニが強打するリズムは「絶望の動機」とでも名付けられるほど、交響曲全体で重要な役割を果たす。これはベートーヴェンの《交響曲第5番》や、J.ブラームスの《交響曲第1番》を彷彿とさせる。ティンパニの提示する「絶望の動機」と共に始まるテューバのモノローグは、調性も曖昧で不安定なもの。この不安定さは次々と楽器を変えて語り継がれてゆく。全体としてc-Mollを示唆する第1楽章は、最終的にG音が強烈に、しかし寂しげに響く。それは悲しみ、絶望、この楽章で生まれ「絶望の動機」と共に渦巻いている様々な負の感情が、いまだ解決していないことを暗示する。
 第2楽章はスケルツォ。この楽章はG.マーラーの《交響曲第1番》に見られるようなグロテスクな葬送行進曲でもある。3本のファゴットコントラバスが描き出す奇妙な世界は、バーンズいわく「世界に一定数はいる自尊心を持った人々への皮肉」である。第1楽章で生み出された負の感情は、ここである種の怒りへと変貌したのである。
 第3楽章は「ナタリーのために」と名付けられた緩徐楽章。バーンズ自身の言葉を借りれば「もしもナタリーが生きていたら、わたしの世界はどうなっただろうか」という叶わぬ夢を描いた幻想曲。第1楽章、第2楽章と負の感情に支配されていた《交響曲第3番》の世界に、はじめて光が降りそそぐ。曇天を切り裂く、天からの一筋の光を示すようなハープと打楽器群による前奏に続き、オーボエがやわらかに何かを語り始め、イングリッシュ・ホルンバリトンサクソフォンがそれを引き継ぐ。音域の低い楽器による歌は、あたかもバーンズ自身のナニカへの語り掛けを思わせる。バリトンサクソフォンが導き出したアルペジオの伴奏の中から、今度はホルンのやわらかで美しく響き渡る暖かな声が聴こえてくる。それはバーンズの語り掛けに応じるナタリーの最期の声かもしれない。そう、この楽章でバーンズはナタリーに、ナタリーはバーンズに別れを告げる。しかしその別れは、深淵へと堕ちた精神を解放するものではなく、b-Mollの陰鬱な和音と共に想いは消えてゆく。
 第4楽章は、第1楽章で生み出された負の感情の解決の場。第1楽章の崩壊しかけたソナタ形式に対し、第4楽章は比較的明確なソナタ形式に則っているのも印象的。フリューゲル・ホルンとホルンによる威勢の良い開始は、先行楽章の鬱々とした世界を打ち壊すかのように輝きを放つ。短いティンパニ・ソロの後、ホルンによって提示される勢いのあるひとつ目の主題が、全体へと広がってゆく。途中から「絶望の動機」が聴こえてくると、ふたつ目の主題が現れる。ふたつ目の主題は、ナタリーの葬儀でも歌われたプロテスタントの賛美歌《神の子羊》に基づくもの。ひとつ目の主題とふたつ目の主題を基に展開部を形作り、再現部ではふたつ目の主題は金管群が再現し、その上で木管楽器群はひとつ目の主題を奏する。この動機の結合の中で奏される「絶望の動機」は、いまや輝かしい「希望の動機」へと変容している。ひたすらにC-Durの主和音を目指し、c-Mollで開始した交響曲全体、そしてまた、ナタリーへのレクイエムを完成させる。
 一般にレクイエムは「鎮魂歌」、すなわち「死者への音楽」と理解されている。しかし、レクイエムは死者への音楽ではなく、間違いなく残された者たちへの音楽である。そういう意味においても、本作《交響曲第3番》は交響曲という様式の中で作り上げられるレクイエムなのである。
 本作の作曲を終えた数日後、バーンズの下に新たな命がもたらされた。バーンズはこうも語っている「もし第3楽章がナタリーのための曲であるならば、第4楽章はまさにビリーのための曲です」。こうして本作は「絶望から希望へ」という18世紀以来の交響曲創作の伝統と共に、「亡き娘のレクイエム」、「新たな命への讃歌」をも意味することになったのである。


【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第2部 A.リード&J.バーンズステージ

第7回定期演奏会第一部より プログラムノート石原勇太郎

〇オープニング
・マーチ「春薫る華」[八木澤教司][約4分]

〇第1部 邦人ステージ
・たなばた[酒井格][約8分]
吹奏楽のための「ワルツ」[高昌帥][約4分]
・あなたとワルツを踊りたい[野呂望][約9分]
・公募作品2018 叙事詩エンデュランス号の奇跡」より 船出[関口孝明][約5分]
夜想曲 委嘱作品2018 [福島弘和][約8分]

八木澤 教司 マーチ「春薫る華」
 本作は東京都の私立中学・高等学校である京華学園吹奏楽団40回目の定期演奏会を記念して、2015年に作曲された作品。「春薫る華」という題名は、本団音楽監督であり京華学園の卒業生でもある樫野哲也が付けたもの。
 題名の通り行進曲の形式を取るが、通常の行進曲とは異なり、冒頭に京華学園の学園歌(小松平五郎(1897-1953)による)に基づいたコラール風の序奏が置かれている。このコラール風楽句がトリオとグランド・マーチ後半にも明確に現れることで、通常の行進曲の形式「第1マーチ(A)―第2マーチ(B)―第1マーチ(A)―トリオ―グランド・マーチ」は、「序奏―第1マーチ(A)―第2マーチ(B)―第1マーチ(A)―トリオ(序奏再現)―グランド・マーチ(Aに基づく)―序奏再現―終結」というような形式へと変化している。本作は「行進曲」という絶対音楽的な曲種に対し、学園歌を引用することで一種の物語性を獲得し、祝典に相応しい標題音楽的作品となっている。
 コラール風の序奏に続く、シンコペーションが印象的な前奏と第1マーチ(A)は、B-Durの勇ましい行進。第2マーチ(B)は、低音楽器群による荘重な旋律。g-Mollを思わせるが、明確なドミナントが形成されないため重々しい暗さは感じさせない。先述の通り、コラール風楽句や第1マーチに基づくEs-DurのトリオとB-Durのグランド・マーチを経て、行進曲の前奏が終結句として奏され、華々しく曲を終える。

酒井 格 たなばた
 F.メンデルスゾーンが17歳で作曲した《真夏の夜の夢》、同じく17歳のG.ビゼーが作曲した《交響曲第1番》など、西洋芸術音楽の歴史を見ると10代のうちに作曲された名作がある。吹奏楽作品の中で、それらと同じように語ることができるのが酒井格の《たなばた》であろう。現在でも、人気を誇る酒井の代表作とも言える《たなばた》であるが、作曲されたのは1988年、酒井が17歳の時である。
 酒井自身が語るように、A.リードやJ.バーンズなどからの影響が色濃く、明確な構造(短い序奏―急(主部)―緩(中間部)―急(主部))の中に、つい口ずさみたくなるような旋律が随所に見られる。
 本作は題名の通り7月7日の「たなばた」を描写しているとされているが、総譜に記されている具体的な内容は「中間部のアルト・サクソフォンユーフォニアムの二重奏は、伝説に語り継がれる男(彦星)と女(織姫)の描写を意図している」という一文のみ。
 冒頭の短い序奏では、主部のひとつ目の主題を示唆するトロンボーンユーフォニアムテューバによる楽句がトランペットとホルンのEs音の中から立ち現れる。その後すぐにテンポを上げ、主部へと進む。主部ひとつ目の主題は、冒頭の楽句によるやわらかで息の長いもの。それが少しずつ発展すると、ふたつ目の主題としてクラリネットサクソフォンが一層おだやかな旋律を奏する。主部のひとつ目の主題はEs-Dur、ふたつ目の主題はB-Durとなることで、ソナタ形式の調構造が浮かび上がる。さらに、前述のアルト・サクソフォンユーフォニアムの印象的な二重奏に代表される、彦星と織姫を別つ天の川の神秘的な輝きを思い起こさせる中間部の後で再現される主部では、最初の主部が展開され、ふたつ目の主題を作品全体の主調であるEs-Durで再現する。本作はソナタ形式によるものではないが、作品の原構造としてソナタ原理を見出すことができる。つまり《たなばた》は、物語の進行に頼るのではなく、あくまでひとつの自律的な作品として認めることができ、そこに、わたしたちを魅了する絶対音楽的な美しさが宿っているのである。

高 昌帥 吹奏楽のための「ワルツ」(平成30年度全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅲ)
 本年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲として、全日本吹奏楽連盟からの委嘱により作曲されたのが本作《吹奏楽のための「ワルツ」》である。本作について、高は次のような興味深い言葉を残している「スコアに私がどんなに細かく書き込んでも自由な解釈の余地はいくらでも残されていると思っています。」(会報『すいそうがく』2017,12, p.3)。課題曲という性質上、(たとえそれが行進曲であっても)標題的作品が多い中で、このような伝統的な様式による絶対音楽的作品が現れたことは大変興味深い。
 冒頭はワルツの前奏。本作全体の主調であるB-Durに対し、前奏はドミナントを形成するF-Durと、その平行調であるd-Mollが中心。クラリネットセクションのゆったりとした語りが、少しずつワルツのテンポへ向い第1ワルツが開始する。第1ワルツはB-Durだが、準固有和音等を用いることでわずかに短調の薫りもただよう。細かな音符を用いたブリッジを経て、第2ワルツもまたB-Durで現れる。第2ワルツは第1ワルツに基づいたものであるが、旋律自体は変奏されているため、別の性格を獲得している。ゆったりとしたブリッジを経て、これまで現れた要素を用いた第3ワルツがAs-Durで堂々と提示される。最終的にはB-Durへと戻り、霧の中へと消えてゆくように静かに終結する。
 高自身が語ったように、本作は「『ワルツ』という伝統的なジャンルと19世紀末頃の調性語法」による作品である。特にP.I.チャイコフスキーやF.ショパンの作品、M.ラヴェルの《ラ・ヴァルス》に見られる「腐敗した(偽物の)ウィンナ・ワルツ」の影響が強いように思われる。

野呂 望 あなたとワルツを踊りたい
 高による《吹奏楽のための「ワルツ」》が絶対音楽的作品であるとすれば、同じ「ワルツ」を題材とした野呂の2016年の作品《あなたとワルツを踊りたい》は標題音楽的作品に分類されるだろう。
 本作の中心となるのは、野呂自身が語るように「慣れないワルツを少しずつ踊れるようになっていく」様子である。そのために、音楽は不安的な5拍子からワルツの正規の拍子である3拍子を目指すプロセスをたどる。このプロセスは、野呂自身の語った物語によるものであるが、音楽自体はその物語性よりも作品自体に内在する展開の欲求に従っているように思われる。つまり、本作もまた《たなばた》と同じように、表面上は標題音楽的ではあるものの、音楽それ自体で成立している自律的な作品であると言えるだろう。
 舞踏会の高貴な空気を感じさせる序奏に続いて、サクソフォンセクションによる「どこかぎこちない足取り」の5拍子のワルツが始まる(念のために付け加えておくと、本作では不安的な要素として5拍子のワルツを用いているが、前述のチャイコフスキーのワルツの中には5拍子のものがある。また、19世紀のダンス教本の中にも「5拍子のワルツ」という項目が見られる)。足取りはおぼつかないものの、踊りは徐々に盛り上がり、6拍子も混ざることでより正確なワルツへと近づいてゆく。しかし、ワルツ――あるいはワルツを踊るカップルの破綻を示すかのように、突如不協和で暴力的な楽節が現れる。続く中間部では、それまでの様式とは異なる幻想的な情景が香り立つ。この中間部の展開がきっかけとなり、再び5拍子のワルツが開始され、今度は先ほどよりも明確に3拍子へと進んでゆく。

関口 孝明 叙事詩「エンデュアランス号の奇跡」より「船出」(公募作品2018)
 そもそも「標題音楽」とは、音楽外的な要素、例えば文学、絵画、建築、あるいは自然の中の出来事や、明確な思想などを主題にした音楽のことである。本年度の大江戸シンフォニックウィンドオーケストラの公募作品のテーマは「標題音楽」。ここで、吹奏楽曲の歴史を形作ってきた標題音楽的な作品を聴いていただこう。
 本年度の公募作品として選ばれたのは、関口による《叙事詩「エンデュアランス号の奇跡」》より〈船出〉である。もともとは4つの楽章からなる管弦楽作品であったが、その最初の楽章を吹奏楽のために編曲したものを演奏する。
 20世紀に入ると自国の力を示すため、多くの国が様々な試みを始める。アーネスト・シャクルトン(1874-1922)が隊長を務めた1914年に結成されたイギリスの南極探検隊もそのひとつで、彼らが使用した船がエンデュアランス号である。この船による探索は難破と遭難によって失敗に終わるものの、船員が全員無事に帰還したことは、奇跡として語り継がれてきた。本作はそんな実話に基づく作品である。
 安定感のあるAs-Durの主和音の上で、高らかにホルンの旋律が鳴り渡る。それに続くフルートは、ホルンとは対照的に不安げで、それを支える和声も半音階的な動きが目立つ。この冒頭部分は、未知なる地である南極を夢見つつ、期待と旅の不安の感情に襲われる船員たちを示すものだろう。これらの旋律が全奏によって確保されると、ついにエンデュアランス号は南極へと向かい出航する。打楽器群の堂々たる前奏に続いて、ホルンを中心とした楽器群が勇ましい旋律を奏する。勇ましくもゆったりとしたこの旋律が、少しずつ盛り上がり、エンデュアランス号がイギリスを離れ、南極を目指す様子が描かれる。これから起こる数々の困難を、船員たちはまだ知らない。音楽は不安的になることなく圧倒的な終結を迎える。

福島 弘和:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)
 「夜想曲ノクターン)」とは、19世紀に流行した特定の情景や気分を表現する曲である「性格的小品」の一種。一般的には夜の様々な風景を描いた作品である。つまり、福島による《吹奏楽のための「夜想曲」》も、なにか特定の物語を持っていると考えることができるだろう。しかし、本作は大江戸シンフォニックウィンドオーケストラによる委嘱作品。作品に内在する物語がどのようなものであるかは、わたしたち聴き手に開かれている。
 冒頭のフルートとオーボエを中心とした楽器群による憂いを帯びた旋律は、特徴的な同音連打を含んでおり、これが一種の「語り(レチタティーヴォ)」のようなものを思わせる。そして、旋律が現れる度に同音連打の音数を増やすことで、音楽が前へと加速してゆく。この旋律は、ガラス細工のような繊細さと儚さを感じさせるが、それはヴィブラフォンやハープが響かせる和音に減音程が含まれていることにもよる。通常、夜想曲三部形式を取るが、本作もまた変形された三部形式(A―B―C(A+B))を取っていると考えられる。
 冒頭で提示されたフルートとオーボエによる旋律が歌い継がれてゆくと、低音楽器の不気味なオスティナートが特徴的なBへと進む。Bもまた、冒頭の旋律の影響を受けた旋律が交錯するが、もはや繊細さはなく、音楽は劇的に展開されてゆく。基本的にはAの冒頭で提示された旋律が様々な形で現れつつ進行してゆく。それはまさに、祭りの後の寂しさや、懐かしい日々を回顧する様を思わせる。そのことは、形式上Cと分類されるAとBが結合した部分が、あたかも再現部のような役割を果たすことからも明らかであろう。
 この魅力的な不安定さが、最終的にどのような結末を迎えるのかは、ぜひみなさん自身の耳で聴いていただきたい。まったく新しい作品を聴けるというのは、わたしたち音楽愛好家にとってこの上ない喜びなのだから。

 

 

 

 


【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第1部 邦人ステージ

新型コロナの件について、いま、大江戸SWOが出来ることについてのお知らせです

新型コロナの影響で日本全体が意気消沈している今日この頃ですが、大江戸SWOは本当に運が良かったのと、団長が万全な準備そして、演奏者もしっかりと準備してくれたおかげで開催出来たと思っております。ありがとうございました。

しかし、今各種舞台公演が軒並み中止、延期され日本国中が音楽に触れる機会がほぼ皆無になってしまいました。
そこで、先ずは大江戸SWOの第7回の動画と先日公演いたしました第8回の動画を公開いたします。
また、過去の映像から数曲を期間限定含む公開設定とし、少しでも画面の中ですが、吹奏楽曲に触れてもらいたいなという思いであります。
少しでもあなたの力になれたなら。
何卒よろしくお願いします。

█配信スケジュール(予定)
3月7日(土) 第7回定期演奏会
3月8日(日) 第8回定期演奏会天野正道還暦演奏会(予定)
3月9日(月) ソロと吹奏楽
3月10日(火) 未定
3月11日(水) 未定
以後 未定

このBlog上でも情報発信してまいりますのでぜひシェアなどのご協力お願いいたします。

依頼演奏報告

2月某日に中学校様からのご依頼を受け演奏してきました。

1部では、吹奏楽界の有名な作曲家の作品を2曲、クラシック音楽のアレンジ作品を2曲、最後に「アルメニアン・ダンス パート1」を演奏しました。

2部では、「欅坂メドレー」、すぎやまこういちさん作曲の「野木町賛歌《ふれあいの町》」今年度吹奏楽コンクール課題曲 2番「春」、映画音楽から2曲、「世界にひとつだけの花」を演奏しました。

「春」では指揮者体験コーナーを行い、中学校の生徒さんや先生方に指揮を振ってもらい楽しく演奏できました。
「世界にひとつだけの花」の演奏の途中には、在校生から卒業生への感謝のメッセージを伝えるシーンもありました。
アンコールの「宝島」もアゴゴが鳴り響くと、会場から手拍子が鳴りとても盛り上がりました。

私たちの演奏が中学校の皆さまにとって、楽しい時間となっていただけのなら、嬉しい限りです。

 

文責 T

【大江戸SWO出演情報★第58回東京都職場・一般吹奏楽コンクールに出場します】

★第58回東京都職場・一般吹奏楽コンクール 2日目

8月5日[日]
足立区立西新井文化ホール
演奏時刻⇒31番15:45〜
課題曲:Ⅲ 吹奏楽のための「ワルツ」 高 昌帥
自由曲:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)(福島弘和)
入場料:無料
指 揮:樫野哲也

8回目のコンクール出場になります。

いい演奏できるよう団員一同頑張ります。

応援よろしくお願いします。

 

定期演奏会に演奏した際の楽曲解説貼っておきます。
動画は最後にブログ貼っておきますのでそこから見て頂ければと思います。

解説:石原勇太郎[音楽学

課題曲: Ⅲ 吹奏楽のための「ワルツ」 高 昌帥

 

 本年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲として、全日本吹奏楽連盟からの委嘱により作曲されたのが本作《吹奏楽のための「ワルツ」》である。本作について、高は次のような興味深い言葉を残している「スコアに私がどんなに細かく書き込んでも自由な解釈の余地はいくらでも残されていると思っています。」(会報『すいそうがく』2017,12, p.3)。課題曲という性質上、(たとえそれが行進曲であっても)標題的作品が多い中で、このような伝統的な様式による絶対音楽的作品が現れたことは大変興味深い。

 冒頭はワルツの前奏。本作全体の主調であるB-Durに対し、前奏はドミナントを形成するF-Durと、その平行調であるd-Mollが中心。クラリネットセクションのゆったりとした語りが、少しずつワルツのテンポへ向い第1ワルツが開始する。第1ワルツはB-Durだが、準固有和音等を用いることでわずかに短調の薫りもただよう。細かな音符を用いたブリッジを経て、第2ワルツもまたB-Durで現れる。第2ワルツは第1ワルツに基づいたものであるが、旋律自体は変奏されているため、別の性格を獲得している。ゆったりとしたブリッジを経て、これまで現れた要素を用いた第3ワルツがAs-Durで堂々と提示される。最終的にはB-Durへと戻り、霧の中へと消えてゆくように静かに終結する。

 高自身が語ったように、本作は「『ワルツ』という伝統的なジャンルと19世紀末頃の調性語法」による作品である。特にP.I.チャイコフスキーやF.ショパンの作品、M.ラヴェルの《ラ・ヴァルス》に見られる「腐敗した(偽物の)ウィンナ・ワルツ」の影響が強いように思われる。

 

 

自由曲:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)[福島弘和]

夜想曲ノクターン)」とは、19世紀に流行した特定の情景や気分を表現する曲である「性格的小品」の一種。一般的には夜の様々な風景を描いた作品である。つまり、福島による《吹奏楽のための「夜想曲」》も、なにか特定の物語を持っていると考えることができるだろう。しかし、本作は大江戸シンフォニックウィンドオーケストラによる委嘱作品。作品に内在する物語がどのようなものであるかは、わたしたち聴き手に開かれている。

 冒頭のフルートとオーボエを中心とした楽器群による憂いを帯びた旋律は、特徴的な同音連打を含んでおり、これが一種の「語り(レチタティーヴォ)」のようなものを思わせる。そして、旋律が現れる度に同音連打の音数を増やすことで、音楽が前へと加速してゆく。この旋律は、ガラス細工のような繊細さと儚さを感じさせるが、それはヴィブラフォンやハープが響かせる和音に減音程が含まれていることにもよる。通常、夜想曲三部形式を取るが、本作もまた変形された三部形式(A―B―C(A+B))を取っていると考えられる。

 冒頭で提示されたフルートとオーボエによる旋律が歌い継がれてゆくと、低音楽器の不気味なオスティナートが特徴的なBへと進む。Bもまた、冒頭の旋律の影響を受けた旋律が交錯するが、もはや繊細さはなく、音楽は劇的に展開されてゆく。基本的にはAの冒頭で提示された旋律が様々な形で現れつつ進行してゆく。それはまさに、祭りの後の寂しさや、懐かしい日々を回顧する様を思わせる。そのことは、形式上Cと分類されるAとBが結合した部分が、あたかも再現部のような役割を果たすことからも明らかであろう。

 この魅力的な不安定さが、最終的にどのような結末を迎えるのかは、ぜひみなさん自身の耳で聴いていただきたい。まったく新しい作品を聴けるというのは、わたしたち音楽愛好家にとってこの上ない喜びなのだから。