【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第2部 A.リード&J.バーンズステージ | プログラムノート石原勇太郎

 

・春の猟犬[A.リード][約9分]
交響曲第3番[J.バーンズ][約40分]

リードとバーンズ――「吹奏楽」を作った作曲家たち
 現在でこそ吹奏楽の作品は多様化し、その形式や様式も個性的なものが見られるようになった。しかし、多くの人々が想像する「吹奏楽」的な響きのする書法や、わかりやすく教育的な配慮のなされた形式などは、A.リードやJ.バーンズが確立したと言えるだろう。もちろん、吹奏楽史なるものが、今後より学術的に研究されるようになれば、彼らの用いた様式や書法も、また別のところにその根源をみることになるだろう。しかし、リードやバーンズが作り上げたと言っても過言ではない「吹奏楽」の伝統は、作品が多様化した現在においても、間違いなく生き続けている。そのことは、これから演奏する2つの作品からも聴くことができるだろう。

 

アルフレッド・リード 春の猟犬
 イギリスの詩人アルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(1837-1909)が、1865年に発表したギリシャ悲劇の形式に則った詩劇『カリドンのアタランタ』の中に、次のような一節が見られる。「春の猟犬が冬の足跡を追いかける時、牧場や平原にて月々の女神が、暗がりと風の吹き抜ける場所を、葉の擦れる音と雨の滴る音で満たす」――この一節からインスピレーションを受け、1980年に作曲されたのが《春の猟犬》である。スウィンバーンの詩自体は、ギリシャ神話と深く繋がっており、死をも暗喩するものである。しかし《春の猟犬》はそれらとは無関係に、スウィンバーンの詩からリードが直接感じた「あふれんばかりの若々しい快活さ」と「優しい愛の甘み」を音楽で描こうと試みたと語っている。
 「あふれんばかりの若々しい快活さ」はテンポの速い主部で示される。春の訪れを喜ぶかのような、拍子の交代を伴った躍動感あふれる短い前奏に続く主部は、6/8拍子の音楽。6/8拍子は西洋芸術音楽の伝統の中では、かつてから「狩り」を示す音楽である。また主部で中心的なF-Durは自然や田園風景を描く際に多く用いられる調である。このように、音楽の様々な点で春の訪れを祝う。対して中間部は「優しい愛の甘み」を示す、ゆったりとした部分。As-Durで開始するが、すぐにF-Durへと戻り、大自然の中で愛を語り合う。テンポを取り戻すと主部へと戻るが、後半では主部と中間部の旋律が同時に鳴り響く圧倒的なクライマックスを形成する。

 

ジェームズ・バーンズ 交響曲第3番
 1994年に完成した3番目の交響曲について、バーンズは「この交響曲はわたしが今まで作った作品の中で、最も感情的なものが流れ出している作品です。もしこの作品に副題を与えるとしたら『悲劇的』が適切であると確信しています」と語っている。《交響曲第3番》を作曲し始めた時期は、丁度生まれたばかりのバーンズの娘ナタリーが天へと旅立ったばかりであった。そのため、本作は一種のレクイエム的な要素を併せ持つ交響曲となっている。バーンズが語るように、本作は「絶望の淵である暗闇から充実感と喜びの輝き」に至る劇作法を取るが、これは西洋芸術音楽における交響曲の伝統――すなわち、L.v.ベートーヴェンの《交響曲第5番》に端を発する構成法と一致する。
 第1楽章は交響曲の伝統に則った序奏付きのソナタ形式による楽章。ソナタ形式というのは総譜に記された解説によるものであるが、本作の第1楽章は明確なソナタ形式に則ったものとは言い難い。むしろバーンズの絶望的感情を吐露するような、憂鬱で途切れることのないひとつの線が楽章を支配している。これはソナタ形式のような確固たるものではなく、むしろR.ワーグナーの劇作品に見られるような今にも崩れ落ちそうなほどの彷徨いである。冒頭でティンパニが強打するリズムは「絶望の動機」とでも名付けられるほど、交響曲全体で重要な役割を果たす。これはベートーヴェンの《交響曲第5番》や、J.ブラームスの《交響曲第1番》を彷彿とさせる。ティンパニの提示する「絶望の動機」と共に始まるテューバのモノローグは、調性も曖昧で不安定なもの。この不安定さは次々と楽器を変えて語り継がれてゆく。全体としてc-Mollを示唆する第1楽章は、最終的にG音が強烈に、しかし寂しげに響く。それは悲しみ、絶望、この楽章で生まれ「絶望の動機」と共に渦巻いている様々な負の感情が、いまだ解決していないことを暗示する。
 第2楽章はスケルツォ。この楽章はG.マーラーの《交響曲第1番》に見られるようなグロテスクな葬送行進曲でもある。3本のファゴットコントラバスが描き出す奇妙な世界は、バーンズいわく「世界に一定数はいる自尊心を持った人々への皮肉」である。第1楽章で生み出された負の感情は、ここである種の怒りへと変貌したのである。
 第3楽章は「ナタリーのために」と名付けられた緩徐楽章。バーンズ自身の言葉を借りれば「もしもナタリーが生きていたら、わたしの世界はどうなっただろうか」という叶わぬ夢を描いた幻想曲。第1楽章、第2楽章と負の感情に支配されていた《交響曲第3番》の世界に、はじめて光が降りそそぐ。曇天を切り裂く、天からの一筋の光を示すようなハープと打楽器群による前奏に続き、オーボエがやわらかに何かを語り始め、イングリッシュ・ホルンバリトンサクソフォンがそれを引き継ぐ。音域の低い楽器による歌は、あたかもバーンズ自身のナニカへの語り掛けを思わせる。バリトンサクソフォンが導き出したアルペジオの伴奏の中から、今度はホルンのやわらかで美しく響き渡る暖かな声が聴こえてくる。それはバーンズの語り掛けに応じるナタリーの最期の声かもしれない。そう、この楽章でバーンズはナタリーに、ナタリーはバーンズに別れを告げる。しかしその別れは、深淵へと堕ちた精神を解放するものではなく、b-Mollの陰鬱な和音と共に想いは消えてゆく。
 第4楽章は、第1楽章で生み出された負の感情の解決の場。第1楽章の崩壊しかけたソナタ形式に対し、第4楽章は比較的明確なソナタ形式に則っているのも印象的。フリューゲル・ホルンとホルンによる威勢の良い開始は、先行楽章の鬱々とした世界を打ち壊すかのように輝きを放つ。短いティンパニ・ソロの後、ホルンによって提示される勢いのあるひとつ目の主題が、全体へと広がってゆく。途中から「絶望の動機」が聴こえてくると、ふたつ目の主題が現れる。ふたつ目の主題は、ナタリーの葬儀でも歌われたプロテスタントの賛美歌《神の子羊》に基づくもの。ひとつ目の主題とふたつ目の主題を基に展開部を形作り、再現部ではふたつ目の主題は金管群が再現し、その上で木管楽器群はひとつ目の主題を奏する。この動機の結合の中で奏される「絶望の動機」は、いまや輝かしい「希望の動機」へと変容している。ひたすらにC-Durの主和音を目指し、c-Mollで開始した交響曲全体、そしてまた、ナタリーへのレクイエムを完成させる。
 一般にレクイエムは「鎮魂歌」、すなわち「死者への音楽」と理解されている。しかし、レクイエムは死者への音楽ではなく、間違いなく残された者たちへの音楽である。そういう意味においても、本作《交響曲第3番》は交響曲という様式の中で作り上げられるレクイエムなのである。
 本作の作曲を終えた数日後、バーンズの下に新たな命がもたらされた。バーンズはこうも語っている「もし第3楽章がナタリーのための曲であるならば、第4楽章はまさにビリーのための曲です」。こうして本作は「絶望から希望へ」という18世紀以来の交響曲創作の伝統と共に、「亡き娘のレクイエム」、「新たな命への讃歌」をも意味することになったのである。


【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第2部 A.リード&J.バーンズステージ

第7回定期演奏会第一部より プログラムノート石原勇太郎

〇オープニング
・マーチ「春薫る華」[八木澤教司][約4分]

〇第1部 邦人ステージ
・たなばた[酒井格][約8分]
吹奏楽のための「ワルツ」[高昌帥][約4分]
・あなたとワルツを踊りたい[野呂望][約9分]
・公募作品2018 叙事詩エンデュランス号の奇跡」より 船出[関口孝明][約5分]
夜想曲 委嘱作品2018 [福島弘和][約8分]

八木澤 教司 マーチ「春薫る華」
 本作は東京都の私立中学・高等学校である京華学園吹奏楽団40回目の定期演奏会を記念して、2015年に作曲された作品。「春薫る華」という題名は、本団音楽監督であり京華学園の卒業生でもある樫野哲也が付けたもの。
 題名の通り行進曲の形式を取るが、通常の行進曲とは異なり、冒頭に京華学園の学園歌(小松平五郎(1897-1953)による)に基づいたコラール風の序奏が置かれている。このコラール風楽句がトリオとグランド・マーチ後半にも明確に現れることで、通常の行進曲の形式「第1マーチ(A)―第2マーチ(B)―第1マーチ(A)―トリオ―グランド・マーチ」は、「序奏―第1マーチ(A)―第2マーチ(B)―第1マーチ(A)―トリオ(序奏再現)―グランド・マーチ(Aに基づく)―序奏再現―終結」というような形式へと変化している。本作は「行進曲」という絶対音楽的な曲種に対し、学園歌を引用することで一種の物語性を獲得し、祝典に相応しい標題音楽的作品となっている。
 コラール風の序奏に続く、シンコペーションが印象的な前奏と第1マーチ(A)は、B-Durの勇ましい行進。第2マーチ(B)は、低音楽器群による荘重な旋律。g-Mollを思わせるが、明確なドミナントが形成されないため重々しい暗さは感じさせない。先述の通り、コラール風楽句や第1マーチに基づくEs-DurのトリオとB-Durのグランド・マーチを経て、行進曲の前奏が終結句として奏され、華々しく曲を終える。

酒井 格 たなばた
 F.メンデルスゾーンが17歳で作曲した《真夏の夜の夢》、同じく17歳のG.ビゼーが作曲した《交響曲第1番》など、西洋芸術音楽の歴史を見ると10代のうちに作曲された名作がある。吹奏楽作品の中で、それらと同じように語ることができるのが酒井格の《たなばた》であろう。現在でも、人気を誇る酒井の代表作とも言える《たなばた》であるが、作曲されたのは1988年、酒井が17歳の時である。
 酒井自身が語るように、A.リードやJ.バーンズなどからの影響が色濃く、明確な構造(短い序奏―急(主部)―緩(中間部)―急(主部))の中に、つい口ずさみたくなるような旋律が随所に見られる。
 本作は題名の通り7月7日の「たなばた」を描写しているとされているが、総譜に記されている具体的な内容は「中間部のアルト・サクソフォンユーフォニアムの二重奏は、伝説に語り継がれる男(彦星)と女(織姫)の描写を意図している」という一文のみ。
 冒頭の短い序奏では、主部のひとつ目の主題を示唆するトロンボーンユーフォニアムテューバによる楽句がトランペットとホルンのEs音の中から立ち現れる。その後すぐにテンポを上げ、主部へと進む。主部ひとつ目の主題は、冒頭の楽句によるやわらかで息の長いもの。それが少しずつ発展すると、ふたつ目の主題としてクラリネットサクソフォンが一層おだやかな旋律を奏する。主部のひとつ目の主題はEs-Dur、ふたつ目の主題はB-Durとなることで、ソナタ形式の調構造が浮かび上がる。さらに、前述のアルト・サクソフォンユーフォニアムの印象的な二重奏に代表される、彦星と織姫を別つ天の川の神秘的な輝きを思い起こさせる中間部の後で再現される主部では、最初の主部が展開され、ふたつ目の主題を作品全体の主調であるEs-Durで再現する。本作はソナタ形式によるものではないが、作品の原構造としてソナタ原理を見出すことができる。つまり《たなばた》は、物語の進行に頼るのではなく、あくまでひとつの自律的な作品として認めることができ、そこに、わたしたちを魅了する絶対音楽的な美しさが宿っているのである。

高 昌帥 吹奏楽のための「ワルツ」(平成30年度全日本吹奏楽コンクール課題曲Ⅲ)
 本年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲として、全日本吹奏楽連盟からの委嘱により作曲されたのが本作《吹奏楽のための「ワルツ」》である。本作について、高は次のような興味深い言葉を残している「スコアに私がどんなに細かく書き込んでも自由な解釈の余地はいくらでも残されていると思っています。」(会報『すいそうがく』2017,12, p.3)。課題曲という性質上、(たとえそれが行進曲であっても)標題的作品が多い中で、このような伝統的な様式による絶対音楽的作品が現れたことは大変興味深い。
 冒頭はワルツの前奏。本作全体の主調であるB-Durに対し、前奏はドミナントを形成するF-Durと、その平行調であるd-Mollが中心。クラリネットセクションのゆったりとした語りが、少しずつワルツのテンポへ向い第1ワルツが開始する。第1ワルツはB-Durだが、準固有和音等を用いることでわずかに短調の薫りもただよう。細かな音符を用いたブリッジを経て、第2ワルツもまたB-Durで現れる。第2ワルツは第1ワルツに基づいたものであるが、旋律自体は変奏されているため、別の性格を獲得している。ゆったりとしたブリッジを経て、これまで現れた要素を用いた第3ワルツがAs-Durで堂々と提示される。最終的にはB-Durへと戻り、霧の中へと消えてゆくように静かに終結する。
 高自身が語ったように、本作は「『ワルツ』という伝統的なジャンルと19世紀末頃の調性語法」による作品である。特にP.I.チャイコフスキーやF.ショパンの作品、M.ラヴェルの《ラ・ヴァルス》に見られる「腐敗した(偽物の)ウィンナ・ワルツ」の影響が強いように思われる。

野呂 望 あなたとワルツを踊りたい
 高による《吹奏楽のための「ワルツ」》が絶対音楽的作品であるとすれば、同じ「ワルツ」を題材とした野呂の2016年の作品《あなたとワルツを踊りたい》は標題音楽的作品に分類されるだろう。
 本作の中心となるのは、野呂自身が語るように「慣れないワルツを少しずつ踊れるようになっていく」様子である。そのために、音楽は不安的な5拍子からワルツの正規の拍子である3拍子を目指すプロセスをたどる。このプロセスは、野呂自身の語った物語によるものであるが、音楽自体はその物語性よりも作品自体に内在する展開の欲求に従っているように思われる。つまり、本作もまた《たなばた》と同じように、表面上は標題音楽的ではあるものの、音楽それ自体で成立している自律的な作品であると言えるだろう。
 舞踏会の高貴な空気を感じさせる序奏に続いて、サクソフォンセクションによる「どこかぎこちない足取り」の5拍子のワルツが始まる(念のために付け加えておくと、本作では不安的な要素として5拍子のワルツを用いているが、前述のチャイコフスキーのワルツの中には5拍子のものがある。また、19世紀のダンス教本の中にも「5拍子のワルツ」という項目が見られる)。足取りはおぼつかないものの、踊りは徐々に盛り上がり、6拍子も混ざることでより正確なワルツへと近づいてゆく。しかし、ワルツ――あるいはワルツを踊るカップルの破綻を示すかのように、突如不協和で暴力的な楽節が現れる。続く中間部では、それまでの様式とは異なる幻想的な情景が香り立つ。この中間部の展開がきっかけとなり、再び5拍子のワルツが開始され、今度は先ほどよりも明確に3拍子へと進んでゆく。

関口 孝明 叙事詩「エンデュアランス号の奇跡」より「船出」(公募作品2018)
 そもそも「標題音楽」とは、音楽外的な要素、例えば文学、絵画、建築、あるいは自然の中の出来事や、明確な思想などを主題にした音楽のことである。本年度の大江戸シンフォニックウィンドオーケストラの公募作品のテーマは「標題音楽」。ここで、吹奏楽曲の歴史を形作ってきた標題音楽的な作品を聴いていただこう。
 本年度の公募作品として選ばれたのは、関口による《叙事詩「エンデュアランス号の奇跡」》より〈船出〉である。もともとは4つの楽章からなる管弦楽作品であったが、その最初の楽章を吹奏楽のために編曲したものを演奏する。
 20世紀に入ると自国の力を示すため、多くの国が様々な試みを始める。アーネスト・シャクルトン(1874-1922)が隊長を務めた1914年に結成されたイギリスの南極探検隊もそのひとつで、彼らが使用した船がエンデュアランス号である。この船による探索は難破と遭難によって失敗に終わるものの、船員が全員無事に帰還したことは、奇跡として語り継がれてきた。本作はそんな実話に基づく作品である。
 安定感のあるAs-Durの主和音の上で、高らかにホルンの旋律が鳴り渡る。それに続くフルートは、ホルンとは対照的に不安げで、それを支える和声も半音階的な動きが目立つ。この冒頭部分は、未知なる地である南極を夢見つつ、期待と旅の不安の感情に襲われる船員たちを示すものだろう。これらの旋律が全奏によって確保されると、ついにエンデュアランス号は南極へと向かい出航する。打楽器群の堂々たる前奏に続いて、ホルンを中心とした楽器群が勇ましい旋律を奏する。勇ましくもゆったりとしたこの旋律が、少しずつ盛り上がり、エンデュアランス号がイギリスを離れ、南極を目指す様子が描かれる。これから起こる数々の困難を、船員たちはまだ知らない。音楽は不安的になることなく圧倒的な終結を迎える。

福島 弘和:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)
 「夜想曲ノクターン)」とは、19世紀に流行した特定の情景や気分を表現する曲である「性格的小品」の一種。一般的には夜の様々な風景を描いた作品である。つまり、福島による《吹奏楽のための「夜想曲」》も、なにか特定の物語を持っていると考えることができるだろう。しかし、本作は大江戸シンフォニックウィンドオーケストラによる委嘱作品。作品に内在する物語がどのようなものであるかは、わたしたち聴き手に開かれている。
 冒頭のフルートとオーボエを中心とした楽器群による憂いを帯びた旋律は、特徴的な同音連打を含んでおり、これが一種の「語り(レチタティーヴォ)」のようなものを思わせる。そして、旋律が現れる度に同音連打の音数を増やすことで、音楽が前へと加速してゆく。この旋律は、ガラス細工のような繊細さと儚さを感じさせるが、それはヴィブラフォンやハープが響かせる和音に減音程が含まれていることにもよる。通常、夜想曲三部形式を取るが、本作もまた変形された三部形式(A―B―C(A+B))を取っていると考えられる。
 冒頭で提示されたフルートとオーボエによる旋律が歌い継がれてゆくと、低音楽器の不気味なオスティナートが特徴的なBへと進む。Bもまた、冒頭の旋律の影響を受けた旋律が交錯するが、もはや繊細さはなく、音楽は劇的に展開されてゆく。基本的にはAの冒頭で提示された旋律が様々な形で現れつつ進行してゆく。それはまさに、祭りの後の寂しさや、懐かしい日々を回顧する様を思わせる。そのことは、形式上Cと分類されるAとBが結合した部分が、あたかも再現部のような役割を果たすことからも明らかであろう。
 この魅力的な不安定さが、最終的にどのような結末を迎えるのかは、ぜひみなさん自身の耳で聴いていただきたい。まったく新しい作品を聴けるというのは、わたしたち音楽愛好家にとってこの上ない喜びなのだから。

 

 

 

 


【期間限定】大江戸SWO第7回定期演奏会第1部 邦人ステージ

新型コロナの件について、いま、大江戸SWOが出来ることについてのお知らせです

新型コロナの影響で日本全体が意気消沈している今日この頃ですが、大江戸SWOは本当に運が良かったのと、団長が万全な準備そして、演奏者もしっかりと準備してくれたおかげで開催出来たと思っております。ありがとうございました。

しかし、今各種舞台公演が軒並み中止、延期され日本国中が音楽に触れる機会がほぼ皆無になってしまいました。
そこで、先ずは大江戸SWOの第7回の動画と先日公演いたしました第8回の動画を公開いたします。
また、過去の映像から数曲を期間限定含む公開設定とし、少しでも画面の中ですが、吹奏楽曲に触れてもらいたいなという思いであります。
少しでもあなたの力になれたなら。
何卒よろしくお願いします。

█配信スケジュール(予定)
3月7日(土) 第7回定期演奏会
3月8日(日) 第8回定期演奏会天野正道還暦演奏会(予定)
3月9日(月) ソロと吹奏楽
3月10日(火) 未定
3月11日(水) 未定
以後 未定

このBlog上でも情報発信してまいりますのでぜひシェアなどのご協力お願いいたします。

依頼演奏報告

2月某日に中学校様からのご依頼を受け演奏してきました。

1部では、吹奏楽界の有名な作曲家の作品を2曲、クラシック音楽のアレンジ作品を2曲、最後に「アルメニアン・ダンス パート1」を演奏しました。

2部では、「欅坂メドレー」、すぎやまこういちさん作曲の「野木町賛歌《ふれあいの町》」今年度吹奏楽コンクール課題曲 2番「春」、映画音楽から2曲、「世界にひとつだけの花」を演奏しました。

「春」では指揮者体験コーナーを行い、中学校の生徒さんや先生方に指揮を振ってもらい楽しく演奏できました。
「世界にひとつだけの花」の演奏の途中には、在校生から卒業生への感謝のメッセージを伝えるシーンもありました。
アンコールの「宝島」もアゴゴが鳴り響くと、会場から手拍子が鳴りとても盛り上がりました。

私たちの演奏が中学校の皆さまにとって、楽しい時間となっていただけのなら、嬉しい限りです。

 

文責 T

【大江戸SWO出演情報★第58回東京都職場・一般吹奏楽コンクールに出場します】

★第58回東京都職場・一般吹奏楽コンクール 2日目

8月5日[日]
足立区立西新井文化ホール
演奏時刻⇒31番15:45〜
課題曲:Ⅲ 吹奏楽のための「ワルツ」 高 昌帥
自由曲:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)(福島弘和)
入場料:無料
指 揮:樫野哲也

8回目のコンクール出場になります。

いい演奏できるよう団員一同頑張ります。

応援よろしくお願いします。

 

定期演奏会に演奏した際の楽曲解説貼っておきます。
動画は最後にブログ貼っておきますのでそこから見て頂ければと思います。

解説:石原勇太郎[音楽学

課題曲: Ⅲ 吹奏楽のための「ワルツ」 高 昌帥

 

 本年度の全日本吹奏楽コンクール課題曲として、全日本吹奏楽連盟からの委嘱により作曲されたのが本作《吹奏楽のための「ワルツ」》である。本作について、高は次のような興味深い言葉を残している「スコアに私がどんなに細かく書き込んでも自由な解釈の余地はいくらでも残されていると思っています。」(会報『すいそうがく』2017,12, p.3)。課題曲という性質上、(たとえそれが行進曲であっても)標題的作品が多い中で、このような伝統的な様式による絶対音楽的作品が現れたことは大変興味深い。

 冒頭はワルツの前奏。本作全体の主調であるB-Durに対し、前奏はドミナントを形成するF-Durと、その平行調であるd-Mollが中心。クラリネットセクションのゆったりとした語りが、少しずつワルツのテンポへ向い第1ワルツが開始する。第1ワルツはB-Durだが、準固有和音等を用いることでわずかに短調の薫りもただよう。細かな音符を用いたブリッジを経て、第2ワルツもまたB-Durで現れる。第2ワルツは第1ワルツに基づいたものであるが、旋律自体は変奏されているため、別の性格を獲得している。ゆったりとしたブリッジを経て、これまで現れた要素を用いた第3ワルツがAs-Durで堂々と提示される。最終的にはB-Durへと戻り、霧の中へと消えてゆくように静かに終結する。

 高自身が語ったように、本作は「『ワルツ』という伝統的なジャンルと19世紀末頃の調性語法」による作品である。特にP.I.チャイコフスキーやF.ショパンの作品、M.ラヴェルの《ラ・ヴァルス》に見られる「腐敗した(偽物の)ウィンナ・ワルツ」の影響が強いように思われる。

 

 

自由曲:吹奏楽のための「夜想曲」(委嘱作品)[福島弘和]

夜想曲ノクターン)」とは、19世紀に流行した特定の情景や気分を表現する曲である「性格的小品」の一種。一般的には夜の様々な風景を描いた作品である。つまり、福島による《吹奏楽のための「夜想曲」》も、なにか特定の物語を持っていると考えることができるだろう。しかし、本作は大江戸シンフォニックウィンドオーケストラによる委嘱作品。作品に内在する物語がどのようなものであるかは、わたしたち聴き手に開かれている。

 冒頭のフルートとオーボエを中心とした楽器群による憂いを帯びた旋律は、特徴的な同音連打を含んでおり、これが一種の「語り(レチタティーヴォ)」のようなものを思わせる。そして、旋律が現れる度に同音連打の音数を増やすことで、音楽が前へと加速してゆく。この旋律は、ガラス細工のような繊細さと儚さを感じさせるが、それはヴィブラフォンやハープが響かせる和音に減音程が含まれていることにもよる。通常、夜想曲三部形式を取るが、本作もまた変形された三部形式(A―B―C(A+B))を取っていると考えられる。

 冒頭で提示されたフルートとオーボエによる旋律が歌い継がれてゆくと、低音楽器の不気味なオスティナートが特徴的なBへと進む。Bもまた、冒頭の旋律の影響を受けた旋律が交錯するが、もはや繊細さはなく、音楽は劇的に展開されてゆく。基本的にはAの冒頭で提示された旋律が様々な形で現れつつ進行してゆく。それはまさに、祭りの後の寂しさや、懐かしい日々を回顧する様を思わせる。そのことは、形式上Cと分類されるAとBが結合した部分が、あたかも再現部のような役割を果たすことからも明らかであろう。

 この魅力的な不安定さが、最終的にどのような結末を迎えるのかは、ぜひみなさん自身の耳で聴いていただきたい。まったく新しい作品を聴けるというのは、わたしたち音楽愛好家にとってこの上ない喜びなのだから。

 

第7回定期演奏会終演報告

第7回定期演奏会

盛会にて終演いたしました事をご報告申し上げます。

これも偏に皆様のおかげでございます。

 

また次の演奏会に向け頑張りますので、今後とも応援のほど宜しくお願い致します。

 

ありがとうございました。

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第7回定期演奏会に寄せて 石原勇太郎氏楽曲解説導入編

標題音楽絶対音楽のはざまで――日本の吹奏楽作品のこれまでとこれから

 

  戸ノ下達也らによる『日本の吹奏楽史 1896-2000』(青弓社, 2013)に、作曲家中橋愛生による「吹奏楽曲創作の歴史」と題された短い概論が掲載されている(前掲書, p.169-182)。その中で中橋は次のような指摘をしている。「現代日本吹奏楽作品の『需要』は、このイベント[吹奏楽コンクール]で演奏するのに適した作品かどうかという一点に尽きる。この需要に適さないものは、どんなに音楽的に優れていても、広く受け入れられることは少なく、逆にここに受け入れられれば、吹奏楽作家として安定できることになる。」(前掲書, p.179)。

 中橋の指摘を基に考えてみると、近年の日本の(あるいは世界的に見てもそうかもしれないが)吹奏楽作品は、いわゆる「標題音楽」的作品が多く、それと対照となる「絶対音楽」的作品は少ないように思われる。しかし、標題音楽絶対音楽のどちらが優れているかという、19世紀的な議論をここで行うつもりはない。教育とも深く結びついた吹奏楽において、標題音楽的作品が果たす役割も十分理解できる。しかし、音楽というのは常に進化し続けるもので、吹奏楽のための作品もその例外ではない。現代日本の作曲家たちは、標題音楽に異常なほど傾いてしまっている吹奏楽の作品に、絶対音楽的な要素を入れつつある。そんな吹奏楽作品の発展を、この第1部で聴いていただこう。

音楽と物語が見事に一致し、華麗なる空想の世界を創り出す八木澤。親しみやすく、美しい旋律がその作品からあふれ出す酒井。無駄のない構造の中に、幻想的な一輪の華を咲かす高。喜びや悲しみ、様々な感情がその作品を疾走する福島。近年の吹奏楽作品の発展を担ってきたこれら4名に、吹奏楽作品の明日を担ってゆくことになる若手作曲家の野呂と関口の2名を加えた、6名の作曲家の作品から、標題音楽絶対音楽のはざまに揺れる作曲家たちの姿勢を見つめたい。